狩猟型と農耕型
多分、高校生の頃だと思うけど、小林君から「吉田君は狩猟型と農耕型どっち?」と聞かれた。そんな事考えもしてなかったから答えられなかったけど、その時に彼が話した内容は今でも覚えているし特に印象に残った会話でもあった。
既に彼はあの頃から東京へ行く事を決めていたと思う。
1970年代の東京は超刺激的だけど北海道から出た事の無い自分からすると別世界であって、そこに住んで生活しようなんて考えた事も無かった。
その意味では典型的な農耕型なのかも知れない。というか農耕型だったのだ。
高校卒業後は一人暮らしをしたいと漠然と考えていたけど、小林君と一緒に東京へ行こうと徐々に傾いていった。明らかに彼の影響だ(笑)。
音楽が好き、ギターが好きという共通項から友人関係へ発展し一緒に東京へ行く事は今思えば極々自然な流れではあったが、問題も多々あった。
まず彼は就職で東京へ、私は専門学校入学で東京へ。
彼の都会志向は家族や親類の間で共有されていたのだろう。東京への就職も親類の紹介だ。だからこれは早々に決まっていたと思う。問題は自分。東京に親しい親類も無いし、頭悪いから東京の大学など到底無理だし、そもそも両親が反対。
しかし、最終的には工学系の専門学校で寮住まい、仕送りは2万7千円のみという条件で東京行きが決まった。
彼も自分も東京さえ行ってしまえば勝ちと思っていたが暫くの間は都会の華やかさに圧倒され毎日の日々が現実のものだとは思えなかった。一方の彼も自分の適性と仕事内容のズレに悩み早々に退職する意向を固めていたと思う。
その半年後・・・彼は会社を辞めてしまう。・・・次回に続く